太陽の畝

日々亦瀟瀟。

ヒジュラーに会った話

もう数年前になってしまったが、インドに3か月程行ったことがある。

その際は精神的にも参っていて、今よりも多くの錠剤を服用させられていた。

眠れぬ日々、緩やかな発作。

今回は振り返るというよりも、乞食やアウトカーストと触れ合ったことをメインに書きたいと思う。

 

鞄一つ、着替え一着すら持たずに出国した。

上下作業着、安全靴、手ぬぐい一本、粉末ポカリスエット精神安定剤睡眠薬、携帯、財布、パスポート、筆記用具、カラビナ、百均南京錠、持ち物はこれぐらいである。

帰国時は虱とパスポートだけだったが・・・。

戦場カメラマン渡部陽一氏をヒントに、ポケットがいっぱいついているチョッキにすべてを詰め込んだ。

その日任せの旅行だったので、風呂にも一週間、二週間入らないことはザラだった。無宿人となり道や駅で寝ざるをえない時も何度かあった。

やがて汚くなってくるとインドの人たちも私を空気のように扱った。

声をかけてくるのは決まってプッシャーばかりだが。

「ヘイマイフレンド、ハシシ?チョコ?」

「いや、今はいらないよ」

アフガニスタンのグッドハシシね、マハラジャトリップね(ほんとかよ!)」

「ふーん、ハウマッチ?」

「***ルピー」

「ハイ、プライスだ」

「***ルピー」

「それならいらない」

「オーケー!***ルピー」

「オーケーフィニッシュ」

***

「ヘイ、ボブ(私はマーリーのシャツを着ていた)」

「   」

「ドゥーユーハブ・サムシング」

「ジャパーニーオレンジサンシャイン、ハブ」

「オーケー、トレード、マイアイテム」

断わっておくが私はLSDなど持ってはいなかったし、英語も喋れなかった。

100均で買ったビタミンのサプリメントを彼にあげた。

彼がくれたのは手垢にまみれた粗悪な合成麻薬かなにかだった。

元来、人とかかわることがあまり得意ではないが、今思うとインド人のコミュ力に助けられたところが多い。もちろん声をかけてくる奴はほぼ騙そうとしてくるやつだが。お互いに怒らない程度にからかい合うのは楽しかった。

中には親切に忠告してくる人もいた。

カルカッタのサダルで会った日本語が話せるおじさんとおばあさんである。

おじさんは町ぐるみで騙されそうになっているこちら側に紳士的に忠告した。

「きをつけろ。あいつらは***インド人だ。***インド人だ」

「あいつらには気をつけなさい。相手にしないことだ」

彼らは最後の最後まで親切なだけだったのか?

今になると疑問はあるが、ことあるごとにこちらの心配をしてくれた。

この日本語おじさんは健康そうな乞食には目もくれないが、本当に悲惨な、死が一歩一歩近づいている老婆の乞食などにはバクシーシをしていた。

 

当時はよく乞食や行乞などの本をよく読んでいた。

本当に悲しい山頭火、天狗になった人辻潤、侘しい人つげ義春、犬になった人ディオゲネス、詩人を捨てたランボー、乞食井月、さようなら田中英光焼け跡闇市派野坂昭如、ガラスに突っ込む少年椎名麟三、怒りながら走り回る人セリーヌ、ホモのコソ泥ジュネ、鴨長明、西行、ニットキャップマン・・・。

 

ホテルマリアの向かいの廃ホテル、深夜二時の暗闇に佇むガリガリの乞食二人、こちらをじっと見るだけで一言も口をきかない。彼らのことを今でも鮮明に思い出す。

 

最近古本屋で『不可触民 もう一つのインド』『バガヴァッド・ギーター』『ウパデーシャ・サハースリー』を安かったので買った。まだ読んではいない。

 

ハウラー駅でベナレス行きの夜行を待っていると、ヒジュラー同士が喧嘩をしていた。

凄惨なおかまの喧嘩、といった様子だったが、しばらく眺めていた。

インド人は暴力を好まないと聞いていたので、珍しいものを見れた。

(実際には警官が低カーストをぼこぼこにする場面などは何度か見せられたが)

インドの大きな駅では朝から晩まで一日中人が溢れ、そこかしこで眠ったり果物を売っていたりする。山奥に連れていかれた部活の晩の日に似ている。

なかなか電車もこず、突然の腹痛で糞まみれの便所で用を足し、外に出てみるとヒジュラーがいた。

彼(彼女)は私を一瞥し、「じゃぱにー」と一言。

破顔した私に微笑み返し、私の股間を軽く触った。

「じゃぱにー、ブル!」

お世辞だとは思うが、「君の股間は雄牛だ」という意味だったらしい。

私はニューハーフも好きだし、バイセクシャルかもしれないと薄々感じている。

ヒジュラーと絡む機会も中々ないので私も彼(彼女)の股間をひとつかみした。

そのとき私は直観的に「ミル貝」だと思った。

そこでミル貝だね、というのもおかしいので「アメージング」とだけ言って別れた。

 

今でも思い出すのは

深夜に佇みこちらを凝視する乞食二人

日本語おじさん

ミルク代をせがむ子を抱いた女

喋れない乞食の少女

四肢がなく足元で喜捨を求め続ける乞食

親切なバングラデシュの自称マフィア

サダルのチンピラ御一行

偽サドゥー達

白人に身を売る少女

 

ヒジュラーと別れ、オレンジを食べてジョイントを吸った。

駅は虫の声だけで森閑としていた。薄明りに包まれて人は眠っている。

とても大きな月が出ていた。

アンパンマン 半殺しの思想

アンパンマンミュージアムに行く機会があった。

 

マキャヴェリストとしてのアンパンマンは忠実なコードに沿って日々を過ごす。

ある種のピカレスクをすら思わせるアンパンチによって毎度敵役(誰にとっての?)は半殺しにされ、永劫回帰ともいえる日常(!)が繰り返される。

安寧の日々、うたかたの日々・・・・・・。甘い生活

 

村の仲間たちはアンパンマンに扇動され、パルチザン的行為に耽る。

しかしこの場合体制的なものがパン工場であることを忘れてはならない。

ジャムおじさんアンパンマンにとってのブレーンであり、愛と勇気思想の根源である。

アンパンマンはそこから脱却できていない。

取敢えず愛と勇気というコードに沿って我々に美しい暴力(!)を提示する。

と、ここまで書いてみて気づいたが、この美しい暴力は親が子を思う気持ちに似ている。

(余談だが、ミュージアム内の家族を見ていると、BABY DOLL、DG(ドルチェアンドガッヴァーナ)の帽子を被せられた赤ん坊、ジャンボ尾崎風のヘアースタイルにカットされた少年等が矢張り目立つ。そんなこと、百も承知なのだが。)

 

アンパンマン(ジャム)の思想に対置するものの代表としてばいきんまんは存在する。

彼もまた暴力によってアンパンマンを倒そうと試みるのだが、最終段階への明確な目標を掲げ切れていない。

毎度の彼の行動はアンパンマンに対する愛情とでもいえるようなものばかりである。

 

彼らは彼らなしでは存在することさえできないとすら思える。

つまり、共依存的な関係に陥っているといえる。

 

飢えている者、正直者にはパンを与えるが、汚いもの(階級は別にされるらしい)としてシンボライズされた黴菌には排除を。

これは私たちが知っているあらゆる残酷な状況に当て嵌めることができる・・・・・・。

そして私たち、私たちの子供たちはこれらの正義(ここでは愛と勇気という言葉で定義されてはいるが)をインプットされる。

ブルデューのいう再生産は繰り返されているのだ。

 

追記:アンパンマンと同じぐらい(いやそれ以上に)中本繁の『ドリーム仮面』が認知されることを願う。

水浸しのカルカッタにテントウムシが群がり、えぐれている指と根菜

 祈れ 真黒な 祈りに

 祈れ 真黒な 祈りに

 どこいった オレの モジョハンド

 どこいった オレの モジョハンド

 ドレスを着て ドレスを着て

 ドレスを着て ドレスを着て

 ドレスの歌 オレの歌

 ドレスの歌 わたしの歌

 

 難波にある日本工芸館へ。

 日暮れが早く、壷ばっかり転がってるところでした。

 しっかりとした壷、ひび割れた壷が転がっていました。

 主に壷が、壷らしく転がっていました。

 他方で各地に伝わる凧が飾ってあります。

 他方で干支の置物が。

 売店にはインテリジェンスを感じさせる店員のお姉さん二人。

 親切に機関紙のバックナンバーなぞを無料でくれました。

 礼。

 去年ごろより庶民に根付く骨董、木彫り等に興味が湧いております。今まで陶磁器や飾り物などには全く興味がなかったのに。なので謎の刺繍やさるぼぼや骨のブレスレット等が家に飾られるようになりました。

 

 浅はかにも柳宗悦は知っておりましたが、三宅忠一という人は知りませんでした。

 どうも、同じ民芸(民藝)運動に携わるが、袂を分かつ仲になってしまったとか。

 そこには民芸(民藝)に対する価値観の軋轢があったようで。民芸館、工芸館など協会によって名称も変わっております。

 柳は民芸品の価値を高め、美的に高尚なものにした半面、三宅は民芸品に息衝く素朴さこそが美しさであり、高尚な美術品というよりは日用品として私たちに広めていったという経緯があるそうです。

 どちらにせよ、私はこのように分裂していくのを多く知っておりますが、傍観するだけです。柳宗悦の子孫たちがその後の協会の幹部になっているのは権威主義ではないかと感じております。

 そして、かっこいいと思うものはどれも高く値付けされていると感じております。なので自分で作っていこうともおもっております。

 

 干支で思い出しましたが、現在働いている職場から卒業した方が私たちに猿(申)をフェルトで象ったキーホルダーをくれました。胸のところにSARU(偶然? 「去る」と懸っている)と書いてあり、非常にシンプルな作りです。愛らしくもあり、切なくもあります。

 

 いっそどこかの山奥かなんかで

 赤い頬っぺたして何にも知らないで

 藁葺屋根の家にでも生まれてきて

 そこで一生暮らして死ねたら

 どんなにいいだろうなんて

 瞬間移動できたらいいな

『瞬間移動できたら』

  

 最近、古い友人たちが日替わりで夢に出てきます。

 K,R,M,Y,N主任...etc

 あと、全く関心もないのにZeebraが私の恋人とポールダンスを踊っている夢を見ました。

無職の頃

思い返してみると無職の頃が多い。

「怠け者になれるなら御の字、オレは怠け者にすらなれない」とはドストエフスキー地下室の手記』の主人公が羅列した言葉の一節である。

 

私にとって無職の頃は鬱屈と日々を過ごしてはいたが、それなりに考える時間もあり、退屈ではなかった。

私には野心がない。生きていく気力も人より乏しいかもしれない。金もいらない。特に、明日もいらない。現に社会人になってからの最低年収が0円の時もあったし、現在までに年収200万を越えたことが無い。これはちょっとした自負である。

埴谷雄高は独居房の中で日がな一日壁を見つめ続け、思索し続けた。シャバに出たいとも思わず、ひたすらその時を過ごせたらどんなによかっただろうと語っている。

 

所謂太く短い人生も私には当てはまらず。

細々生きるのが精一杯であるらしい。

コスモポリタニズムを手放しで賞賛するが、私は一個の小さな日本人であることからは抜けられないらしい。

生活やシステムが追いかけてくる。毎日が特に理由もなく非常に苦しい。

これが本音である。

 

果たして、私はドロップアウトもサクセスもこのままではできそうにないことだけは確かだ。

せいぜいがチンピラの風味である。

 

周りに居た本物のチンピラたち(それでもチンピラ止まりだよ)は最低限度の生活を保障されはしたが、そこから脱出(エクソダス)することはできないみたいだ。

亀の甲羅の罅割れ方で明日のことを占うというのはどういう気持ちなんだろうか。

 

無職の頃、誰かが電線に引っかけて絡まった凧が揺れるのを毎日見ていた。

どうしようもなくなってしまったその凧の気持ちがわかる気がした。

 

全部現時点。

 

救われたい(*^_^*)

I

本日猫のIが亡くなりました。

ひどくやせ細りながらも最後まで自力で、大きな声を出して。

思えば認知症が随分速く進んでいたのだと思います。とても大きな声で、とてもとても速く、そしてとても小さな身体で。

私は大人になったIとしか生活することはなかったけれど。

 

 

奇しくも昨夜私は埴谷雄高の『不合理ゆえに吾信ず』を数年ぶりに通読し、或る一箇所に引っかかっていました。

ここに顔を顰めむずがつている赤ん坊がいるとして、さてその理由を云いきり得たとしたら、それは世界で最初の言葉だと。はっは。(後略)

「赤ん坊」や「世界」という「言葉」こそIにとっては虚空(それこそ!)なものかもしれませんが・・・・・・。

昨夜もIは読書する横で彷徨と咆哮を繰り返し、ジタバタしていました。 

俺といえば?

まだまだIのようにはなれずに、ボソボソとつぶやいていることだけははっきりしています。

 

 

またね!

2015 手をよく見ろ

幾度となく、雑文駄文奇文と人に称されるものを電波に載せてきましたが、何度目かの愚行です、

主に日頃の鬱憤というよりも、苛立ちを吐き出す場として電波を利用していたわけだが、今後はそれも控えたい、

争いは引き起こされる、誰によって?

 

やおら重い身体を揺すり、2015が終わろうとしている、

2015年が通過するとき、我々は爛れ切った生活に浸かり、音楽の録音、版画なぞをしてふざけていた、

 

燃料、ロケッツはいずれ燃料が切れ、漂う、

部屋ではハドソン川で謎の死を遂げるアルバートアイラーが流れていた、

 

というのも、われわれ全員がずっと仕事をして、

戦い、

恐怖と飢えと逆境と憎しみと躓きと嫌悪のあまりわめき散らしたのは、

われわれ全員が毒を盛られたのは、

この世界のためではなく、けっしてこの地上のためなどではないからだ、

その挽き臼によってわれわれ全員が呪いをかけられ、

(以下略!)  (『A・A著 ヴァン・ゴッホ  社会による自殺者』)

 

明日のことを言って鬼が笑い転げる、

しかし明日はもうそこまで来てしまっている、

呪いのうちになんとか私たちは前を向かなくてはいけない、

 

2016年(本当に?)がやってきて、

なるほど、社会(!)について色々と本で学んでいるが、

いよいよ、本当に社会ってやつは苦しくなっている、

困窮と飢えがそこまでひたひたと近づいている、

・・・俺たちのことさ!

 

2015、CDを作りました、

2016、本でも作りたいと思っています、

買ってください、

 

年末年始、暫くお休みです、

ギュヨタ『エデン エデン エデン』

ドゥルーズ『アベセデール』

で過ごします、

又、連絡待っております、