太陽の畝

日々亦瀟瀟。

水浸しのカルカッタにテントウムシが群がり、えぐれている指と根菜

 祈れ 真黒な 祈りに

 祈れ 真黒な 祈りに

 どこいった オレの モジョハンド

 どこいった オレの モジョハンド

 ドレスを着て ドレスを着て

 ドレスを着て ドレスを着て

 ドレスの歌 オレの歌

 ドレスの歌 わたしの歌

 

 難波にある日本工芸館へ。

 日暮れが早く、壷ばっかり転がってるところでした。

 しっかりとした壷、ひび割れた壷が転がっていました。

 主に壷が、壷らしく転がっていました。

 他方で各地に伝わる凧が飾ってあります。

 他方で干支の置物が。

 売店にはインテリジェンスを感じさせる店員のお姉さん二人。

 親切に機関紙のバックナンバーなぞを無料でくれました。

 礼。

 去年ごろより庶民に根付く骨董、木彫り等に興味が湧いております。今まで陶磁器や飾り物などには全く興味がなかったのに。なので謎の刺繍やさるぼぼや骨のブレスレット等が家に飾られるようになりました。

 

 浅はかにも柳宗悦は知っておりましたが、三宅忠一という人は知りませんでした。

 どうも、同じ民芸(民藝)運動に携わるが、袂を分かつ仲になってしまったとか。

 そこには民芸(民藝)に対する価値観の軋轢があったようで。民芸館、工芸館など協会によって名称も変わっております。

 柳は民芸品の価値を高め、美的に高尚なものにした半面、三宅は民芸品に息衝く素朴さこそが美しさであり、高尚な美術品というよりは日用品として私たちに広めていったという経緯があるそうです。

 どちらにせよ、私はこのように分裂していくのを多く知っておりますが、傍観するだけです。柳宗悦の子孫たちがその後の協会の幹部になっているのは権威主義ではないかと感じております。

 そして、かっこいいと思うものはどれも高く値付けされていると感じております。なので自分で作っていこうともおもっております。

 

 干支で思い出しましたが、現在働いている職場から卒業した方が私たちに猿(申)をフェルトで象ったキーホルダーをくれました。胸のところにSARU(偶然? 「去る」と懸っている)と書いてあり、非常にシンプルな作りです。愛らしくもあり、切なくもあります。

 

 いっそどこかの山奥かなんかで

 赤い頬っぺたして何にも知らないで

 藁葺屋根の家にでも生まれてきて

 そこで一生暮らして死ねたら

 どんなにいいだろうなんて

 瞬間移動できたらいいな

『瞬間移動できたら』

  

 最近、古い友人たちが日替わりで夢に出てきます。

 K,R,M,Y,N主任...etc

 あと、全く関心もないのにZeebraが私の恋人とポールダンスを踊っている夢を見ました。