アンパンマン 半殺しの思想
アンパンマンミュージアムに行く機会があった。
マキャヴェリストとしてのアンパンマンは忠実なコードに沿って日々を過ごす。
ある種のピカレスクをすら思わせるアンパンチによって毎度敵役(誰にとっての?)は半殺しにされ、永劫回帰ともいえる日常(!)が繰り返される。
安寧の日々、うたかたの日々・・・・・・。甘い生活。
村の仲間たちはアンパンマンに扇動され、パルチザン的行為に耽る。
しかしこの場合体制的なものがパン工場であることを忘れてはならない。
ジャムおじさんはアンパンマンにとってのブレーンであり、愛と勇気思想の根源である。
アンパンマンはそこから脱却できていない。
取敢えず愛と勇気というコードに沿って我々に美しい暴力(!)を提示する。
と、ここまで書いてみて気づいたが、この美しい暴力は親が子を思う気持ちに似ている。
(余談だが、ミュージアム内の家族を見ていると、BABY DOLL、DG(ドルチェアンドガッヴァーナ)の帽子を被せられた赤ん坊、ジャンボ尾崎風のヘアースタイルにカットされた少年等が矢張り目立つ。そんなこと、百も承知なのだが。)
アンパンマン(ジャム)の思想に対置するものの代表としてばいきんまんは存在する。
彼もまた暴力によってアンパンマンを倒そうと試みるのだが、最終段階への明確な目標を掲げ切れていない。
毎度の彼の行動はアンパンマンに対する愛情とでもいえるようなものばかりである。
彼らは彼らなしでは存在することさえできないとすら思える。
つまり、共依存的な関係に陥っているといえる。
飢えている者、正直者にはパンを与えるが、汚いもの(階級は別にされるらしい)としてシンボライズされた黴菌には排除を。
これは私たちが知っているあらゆる残酷な状況に当て嵌めることができる・・・・・・。
そして私たち、私たちの子供たちはこれらの正義(ここでは愛と勇気という言葉で定義されてはいるが)をインプットされる。
ブルデューのいう再生産は繰り返されているのだ。